みなさんこんにちは。
”自分の言葉で人生を生きる「経営者の言語感覚プログラム」”
講師の坂本です。
前の記事では、人間は感情で動く存在であること。
理屈を優先しすぎると、なぜ失敗が起きるのか。
その入り口を扱いました。
では次に進みましょう。
今回は「理解」のフェーズです。
人間の不完全さをどう受け止めるか。
それが、器の大きさや言葉の深みにどうつながっていくのか。
今回は、ここを丁寧に見ていきます。
人間とは不完全な動物である
まず大前提として、人間は不完全です。
記憶は曖昧。
解釈は主観的。
感情は揺れる。
そして、簡単に勘違いをします。
それなのに、
「分かっているはず」
「普通はこうだよね」
そんな前提で人と接してしまう。
しかし、ここで一度立ち止まってみてください。
不完全であることは、欠陥でしょうか。
それとも、前提条件でしょうか。
実はここをどう捉えるかで、人との関係も、言葉の質も、大きく分かれます。
人間は、不完全さを認められないとなぜ苦しくなるのか
人間関係がこじれる場面の多くは、能力の差ではありません。
性格の善悪でもありません。
「不完全であることを許せない」
ここから始まっています。
相手のミスに腹が立つ。
言い方が気に入らない。
思った通りに動いてくれない。
しかし一方で、自分が同じことをしたときは、事情を説明したくなる。
つまり、自分の不完全さには理由を与え、他人の不完全さには評価を下してしまう。
そうなると、ズレが生まれ関係がこじれます。
人間は同じ経験を、誰一人としてしていない
ここで、もう一段深く考えてみましょう。
・同じ出来事
・同じ言葉
・同じ環境
一見、同じ経験と思うこともあるかもしれません。
ですが実のところ、厳密に言うと、同じ経験をしている人は誰1人としていません。
育った背景・地域・親や兄弟、成功・失敗、傷ついた記憶など、すべてが違います。
だから、
同じ言葉を聞いても、
同じ出来事に直面しても、
反応が違うのは当然です。
にもかかわらず、
「なんで分からないの?」
「普通はこう思うでしょ?」
そう言ってしまう。
ここに、人間理解の浅さが現れます。
理解とは、正しさを押しつけないこと
理解とは、相手の感情を「正しいか・間違っているか」で判断することではありません。
「なぜ、この人はそう感じたのだろうか」と、その背景や経験を想像しにいく姿勢のことです。
正しさを証明しようとすると、言葉は鋭くなります。
結論を急ぐほど、余白がなくなります。
一方で、人の不完全さを前提にすると、決めつけが減ります。
この差が、器の大きさとして相手に伝わります。
人間の不完全さを理解した人の言葉は、なぜ届くのか
不思議なことに、人は「完璧な言葉」には動かされません。
むしろ、少し揺れている言葉。
余白のある表現。
断定しない語り。
そこに、安心を感じます。
なぜなら、聞き手自身も不完全だからです。
不完全さを理解した人の言葉は、相手を論理で追い詰めません。
逃げ場を奪いません。
考える余地を残します。
その結果、言葉が静かに、しかし深く届く。
これが、理解から生まれる影響力です。
人間の器の大きさは、才能ではなく前提の問題
器が大きい人。
深みのある人。
それは、生まれつきではありません。
人間は不完全である。
誰も同じ体験はしていない。
感情で揺れる存在である。
この前提を、どこまで自分の中に落とし込めているか。
ただ、それだけです。
前提が変わると、
怒りの出方が変わります。
言葉の選び方が変わります。
人を見る目が変わります。
【まとめ】理解は、次のステージへの扉
人は誰しも、不完全で、間違える存在です。
だからこそ、他人の失敗を裁く前に、「もし自分だったらどうだろうか」と立ち止まる視点が必要になります。
不完全さを認めることは、甘えることではありません。
むしろ、人と長く、深く関わっていくための土台です。
では、その前提を持ったとき、
私たちはどんな「関係性の中」に身を置くべきなのでしょうか。
次の記事では、
人はどのような環境に置かれることで、思考や選択が変わっていくのか。
そして、人間が「環境の影響を強く受ける動物」である理由を掘り下げていきます。
それでは最後まで読んでいただきましてありがとうございました。